私が上司だった時の話

こんにちは。nonです。

早速私の気まぐれさが現れてしまいましたね。お久しぶりの投稿になります。…そうです、サボっていました。申し訳ありません。趣味程度のものなので、お許しを…。

さて、最近は通勤時間中、『人望が集まる人の考え方』(著:レス・ギブリン)という本を読んでいます。

読み進めていると、ふと思い出すことがあります。私が職場の管理者、つまり複数人の「上司」だった時のことです。

「人望のある上司になれてたかなこんなふうに振る舞えてたらよかったかな」といった思いが頭をよぎるのです。

自分の頭の中を整理するためにも、今日はその時のことを、つらつらと書いてみようと思います。どうか気楽にご覧ください。

 

私は福祉施設に勤務しているのですが、新卒入社して2年目で、2年ほど管理者を務めたことがあります。(今はただの平社員です。)

私には絶対できない、と思いつつ憧れていて、やっとつかんだ役職。それを降りたきっかけとなったのは、ある部下の言葉でした。

「以前僕が変えてほしいと言って、nonさんが『変える』と言ったことが何も変わっていない気がするんです。それが負担に感じています」

それまでにも苦しいことは何度も何度も経験しましたが、なんとか耐えてきました。

しかし、部下のこの言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが崩れ落ちたのです。

「ああ、私は色々と頑張ってきたけど、部下にとってその『頑張り』はなんの意味もなかったんだ。私がどんなに頑張ったところで、部下が幸せじゃなければ意味ないじゃないか。私はこれまで何をやってきたんだろう。

私が上司でいる限り、部下は幸せになれない。私が上司じゃないほうがいい。他の上司の下で、のびのび成長したほうがいい」

当時の私はそう思いました。

部下にその言葉を言われた瞬間から、私は役職を降りることを決意し、上司に電話で希望を出したのです。

やり切れていないことはまだたくさんあったし、本当は降りたくなかったんですけどね。部下のことが見られていなかった自分の余裕のなさ、実力の無さに、あまりにも落胆してしまったのです。

「なりたい自分」と「現実の自分」とのギャップを感じると、私は極度に落ち込む傾向にあります。当時の自分が、あまりにも理想とはかけ離れていたのです。

ただ、今となっては降りて正解でした。後悔はしていません。

平社員になった今は、(結婚をしたのもあるかもしれませんが、)少なからず心が健康になった気がします。頼りになる先輩職員、年下だけれど輝いている上司のもとで、色々なことを学んでいます。

今はいつ上司になってもいい、強い女になるべく、準備期間として働いています。

2年間と短い期間でしたが、今となってはとても良い経験だったと思います。そして、一旦降りることによって初心に戻り、さらなる成長を目指すきっかけになりました。

そのとき、勇気を出して自分の思いをぶつけてくれたその部下には感謝しています。

そして役職を降りる決意をした後、私は入籍し、家庭を持ちました。夫と、これから私たちの元に現れるかもしれない子どもを支えたくて、「昇進したい」という思いが再び、芽生えてきました。

私は上司だった期間、数えきれないほどの後悔・失敗をしてきました。私が不甲斐ないばかりに、退職してしまった部下もいたし、多くの入居者を退所させてしまったこともありました。

それらをこれから昇華しないと気が済みません。

私に足りないのは、成功体験だと思います。

まだまだ未熟ですが、必ずこれから目標を達成し、成功します。

以上です。

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